個人的履歴

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[ Personal History ]

1982年、私は初めて海外に出かけた。それまで国外へ行こうとも思ってもいなかった私がどうして行くことになったかと言うと、それはそれだけの理由があったのである。 当時の私の職業は自動車の輸出入と販売であった。いわゆる外車屋である。その頃の私は決定的な問題をかかえていた。と言うのは私は実は無免許であったのだ。点数オーバーで免許の取り消しをくらって1年間のいわゆるメントリ状態であったのだ。 しかし自動車屋でありながら無免許では仕事にならない。そうでなくても一般人としても生活に支障をきたすことはもちろんのこと、一番困ったのは私の副業であるレーシングドライバーとしての立場である。もちろん一般の運転免許証が無ければいかに国際競技ライセンスのC級を持っていてもレースへの出場出来ないのである。 まったく八方ふさがり状態であった。思えば18歳の時初めて運転免許証を取得してからは人生のすべてが運転免許証を中心に回っているようなものだった。と言うよりも運転免許証に振り回されてきたように思う。無免許! それが問題だったのだ。 外車屋をやっていると色々なお客さんと接触があるもので、さまざまな人たちとお付き合いがあり交流などが発生するが、特に外車屋の特徴としてはヤクザのお客さんを避けられないと言うことである。お金を払ってくれる限りはヤクザも良いお客さんなので自然に世間つきあいをすることもある。あるとき肥田さんと言うヤクザが耳よりな話しを持ってきてくれた。それは海外で運転免許証を取得するツァーがあると言うのだ。具体的にはフィリピンへ行ってフィリピンの運転免許証を取得する(買う)、そして国際ライセンスを発給してもらい日本で使用すると言うものだった。私は渡りに船とばかりにすぐその話しに乗った。